暇な時間は・・・、

人間は「気が付いたら何となくやっている」ことによって定められている部分が大きい。 暇つぶしや気晴らしに出来ることは「自分が比較的苦に思うことなく出来ること」や「何時間でも出来ること」であって、それが仕事に結びつくと、オフの時間も遊んでいるのか仕事しているのか分からない状態になる。結局無茶苦茶な勢いで技術力や生産性が上がっていくという好循環を生みつつも、本人はそれが労働だとは思っていなくて、ただ自分の大好きな玩具をひたすらいじり続けている状態でしかない。 反対に気合いを入れて「これをやるぞっ!」と思わなくちゃいけない行為は、「気合いを入れる」というワンアクションを必要としてしまう。「暇潰し派」が信じられないぐらいに楽しげに、他の人が「義務」だと思っていることをやっていると、決して越えられない壁を見せつけられる。だから義務とか努力とか血の滲む云々よりも「暇潰しに出来ること」を基点に据えないと、決して「暇潰し派」には勝てないのだと思い知らされたあの日の夏。



これは実に本質を突いていると思います。

よく、”好きなこと”を仕事にできたら、と呟く人がいますが、実際に”好きなこと”を仕事をした結果、長続きしなかったと言う人も多いんではないでしょうか?これは、”好きなこと”というのが、あくまで能動的で極めて自覚的なアクションである場合、それを継続して続けることは相当に困難だということと同じだと思います。


結局、その”好きなこと”について時間や場所を問わず常に自然に考えられるものじゃないといけない、という一種の矛盾が必要なんだと思います。本来好きなことっていうのは、常にそのことで頭が一杯な筈なんですけど、自分に対して振り返ってみても結構難しい。


”好きなこと”を仕事にして本当に楽しんでいるという人は、やっぱり”好き”とかっていうレベルではなく、そのことに”取り憑かれている”人が多いんですよね。僕はサーフィンなんかをやるんですが、その魅力に取り憑かれないとやっぱり真冬の海に入ろうとは思わないわけで。


そんな自分の暇つぶしを考えると、何か自分が寂しく思ってきたので、この辺りで。。。