暇な時間は・・・、

人間は「気が付いたら何となくやっている」ことによって定められている部分が大きい。 暇つぶしや気晴らしに出来ることは「自分が比較的苦に思うことなく出来ること」や「何時間でも出来ること」であって、それが仕事に結びつくと、オフの時間も遊んでいるのか仕事しているのか分からない状態になる。結局無茶苦茶な勢いで技術力や生産性が上がっていくという好循環を生みつつも、本人はそれが労働だとは思っていなくて、ただ自分の大好きな玩具をひたすらいじり続けている状態でしかない。 反対に気合いを入れて「これをやるぞっ!」と思わなくちゃいけない行為は、「気合いを入れる」というワンアクションを必要としてしまう。「暇潰し派」が信じられないぐらいに楽しげに、他の人が「義務」だと思っていることをやっていると、決して越えられない壁を見せつけられる。だから義務とか努力とか血の滲む云々よりも「暇潰しに出来ること」を基点に据えないと、決して「暇潰し派」には勝てないのだと思い知らされたあの日の夏。



これは実に本質を突いていると思います。

よく、”好きなこと”を仕事にできたら、と呟く人がいますが、実際に”好きなこと”を仕事をした結果、長続きしなかったと言う人も多いんではないでしょうか?これは、”好きなこと”というのが、あくまで能動的で極めて自覚的なアクションである場合、それを継続して続けることは相当に困難だということと同じだと思います。


結局、その”好きなこと”について時間や場所を問わず常に自然に考えられるものじゃないといけない、という一種の矛盾が必要なんだと思います。本来好きなことっていうのは、常にそのことで頭が一杯な筈なんですけど、自分に対して振り返ってみても結構難しい。


”好きなこと”を仕事にして本当に楽しんでいるという人は、やっぱり”好き”とかっていうレベルではなく、そのことに”取り憑かれている”人が多いんですよね。僕はサーフィンなんかをやるんですが、その魅力に取り憑かれないとやっぱり真冬の海に入ろうとは思わないわけで。


そんな自分の暇つぶしを考えると、何か自分が寂しく思ってきたので、この辺りで。。。

ネット広告のジレンマ

かのタカヒロさんのブログより、

ネット広告代理店(の特に営業さんたち)が、コンバージョン(とかCPA)至上主義になってしまうのは、結局のところ、

「ネット上にゴール(しかも資料請求とか購入とか)が設定されたキャンペーン」

しか、できない思考になってんだな。

http://www.mediologic.com/weblog/mt-tb.cgi/1878


かなり潔く断定された発言ではあるが、恐らくネット広告代理店という立場に身を置いている人からは、かなりの反論もあろう。


それは、以下のネット広告代理店の抱える二つのジレンマから。



勿論、タカヒロさんの仰る通り、ネット広告代理店の営業担当者は、Yahoo!Mixiのような売れ筋と言われる広告メニューや、媒体社の出す直割と言われる配信までの期限ギリギリで値引いた広告メニューをいわゆるプランニングシート(と言えば聞こえはいいが、単にexcelで枠をリスト化した見積書)に乗っけて”CPCは\〜です!”、”想定CPAは\〜です!”と、単なる媒体の枠売り営業になってしまう人は多い。


また悪いことにそういった営業で運よく数字が積み上がろうものなら、”デキる営業マン”、”ネット広告のプロフェッショナル”と社内で崇められて若く出世していく。ネット広告代理店は、いわゆる『営業会社』というヤツなので、とりあえず評価としては、受注金額、売上金額が一番のポイントとなる。そういった環境で育った人がマネージャーとなって新人を育てようものなら、新人も同じような営業スタイルをとるし、それがベストだと思ってしまう。これを続けていると長期的には値引き合戦に突入させられてマージン商売の代理店はどんどん疲弊していく。そんな中、本当のプランニング力を持っている人は、『勘違い野郎』として白い目で見られてしまうのが常。


これが一つのネット広告代理店の内部環境的なジレンマ。


で、次に広告主。

ネット代理店の担当者が、ターゲットインサイト、外部環境、プロモーション戦略、と様々なマーケティングの用語を並び立て、PPTを駆使し、この提案がどれだけ広告主のビジネスに貢献するのかを力説、その内容に対して広告主から一言、


”で、ごたくはいいから、結局幾らで獲れんの?”


一蹴。


この質問を受けた後、担当者としては最終的に上述の『プランニングシート』を提出する。


これが、外部環境的なジレンマ。


要するに、ネット広告のCPA至上主義というのは、ネット広告代理店の担当者がその提案しかできないからという端的な理由からではなく、それを求める広告主側の問題もあるということ。


そこで一般的に反論として言われるのが、その主義を変えさせてこそ広告代理店、ということ。だが、広告主側の担当者が、CPA\〜、で獲得できなければ自分の評価が下がってしまうという状態のときに、マーケティングがどうたらこうたらとか、プロモーションがどうたらこうたら、とかいう話は全く通用しない。とりあえず獲れればいいのだから。


ネット広告代理店の人もたぶん面白い企画をやりたいとは思っているんですよ、当たり前に。

新入社員なんて目をキラキラさせてますもん。creativeという言葉に憧れて。。。


でもそれをなかなかさせてくれない、できない現実が待ってます。

別に私はネット広告代理店で働いているわけではない(経験はある)んだけど、業界に身を置きながら、現在のネット広告を取り囲む環境は更に上記のジレンマあるいはスパイラルがどんどんスピードアップしているなぁ、と常々感じる。そんな中、誤解を恐れずに言うと、ネット広告を取り扱わせて全く何もできないのは総合代理店出身者であるということ。理由はシンプルで、語るのが好きで現実をなかなか見ない理想論者が多いから。takahiroさんは違うとは思いますが。(本心)


ネット広告をその頭の部分で抑えているメディアレップという存在自体が枠売りの帝王のようなもので、彼らにはプランニングや企画なんていう言葉は存在しない。ただ横から横へ枠を流しているだけなんだから。まぁ、それも2大レップの親会社が親会社ですからね。

とどのつまり、ネット広告代理店がCPA至上主義に陥りながらも業界を引っ張るように売上を上げているのは逆に評価すべきだと思う。このままでいいか、と言われたら勿論、NOだけどね。この業界、総合代理店と言われる人達がやっていたら恐らくとうの昔に無くなってるよ。


こう書きながらも、なかなかネット広告業界はうだつが上がらないなぁ、と自分自身再確認しました。

playMUJIのサイトがいい。

久々に無印良品のサイトを覗いたら、playMUJIなるコンテンツが。


playMUJI

http://www.muji.com/playmuji/


カレンダーのようなデザインで、一つ一つの商品動画のサイズがブログwidgetにそのまま貼付けることができるサイズに加工されている。


商品(動画)の一覧性を確保しつつ、一つ一つがFlash動画だけど重くもなく、そして動画ならではの商品の動きを見せることでその商品の活用の幅をユーザーに視覚的に訴えている。


自分はネットで買うのは書籍とか日用品くらいなんだけど、こうやって動画の中で使い方や、人との対比で実際の大きさが分かるようになっているので家具なんかも買えそう。写真だとさほど大きく感じなかったけど、届いたら実際はかなり大きかったというのは過去に経験があったので。また、その逆も然り。


洋服などもこういったFlash動画を使いながらコーディネートを提案したり、動かすことでのドレープの美しさを表現したり、サイズ感などを具体的に表してあげることで、より購入意欲が沸いてくるし、商品の返品率などもグンと下がる気がします。


ただネットショッピングのサイトを立ち上げりするのではなく、一つのユーザビリティの工夫などでまだまだ改良できる余地があるな、と実際に感じました。


ユニクロといい無印良品といい、安価で品質の良いブランド、メーカーのサイトはTVCMやWEBサイトも含めて非常に見せ方が巧いと思います。

カルデロンさん一家について思うこと。


今更だけど、カルデロンさん一家の強制送還の問題や、その抗議やデモを支援している団体が曝け出すクズさぶりには目に余るものがあるので書いておく。


カルデロンさん一家に関しては「不法滞在」という法を犯す行為をした結果なので、可哀想だがやむなしという感情もありつつ、既に日本での滞在期間が20年弱で、ごく普通に生活をし、日本国内で何かしらの犯罪を犯したわけでもなく、きちんと納税をしてきた善良な市民であることには変わりないので、日本で生活をすることを既成事実化した現状を受け入れることもまた一つなのではないかな、と個人的には思うわけです。

勿論、たった一つの事例を認めてしまうことで、その後同様の問題が多く発生してしまう、という論理も分からなくは無いです。

ただ、納税を行うのが国民の義務であり、納税を行うことで国民としての利益を享受することができるのであれば、カルデロンさん一家はその義務を果たしているので、日本人と変わらぬ利益を受けるべきなのでは、と。

近代国家の礎となった社会契約論では、国家と国民の約束事=契約を果たすことで国家に保護されるもの、そういうことを謳っていたのだと思うけれど。ま、そのあたりの学術的なことは詳しく勉強していないので正直良く分かりませんが。

一連の抗議やデモをニュースや動画で見ていると、安っぽけなナショナリズムを振りかざしてその正当性を叫んでいるようにしか見えず、「日本で生まれたから日本人なんだ」という結局は訳の分からない論理に終止しているようで不快感たっぷりです。


このデモの動画なんかは、冒頭に「外国人に人権は無ぇ」という言葉がはっきりと録音されてるし。


このような醜悪な発言をしているような人が抗議やデモをしているようであれば、逆にもっと避難されても良いかと思う。

更には既に退去処分が決定している一家に対しても、追い打ちをかけるかのようなデモまで実施。退去まで数日というときにデモを行い続けるとは、主義主張を掲げる以前の問題で、醜悪で反吐が出る。それは単なる陰湿なイジメだ。狂ってる。

日刊ベリタ : 記事 : 「日本から叩き出す」と気勢 「在日特権許さない市民の会」ら入管前でカルデロン一家を狙い抗議行動

http://www.nikkanberita.com/read.cgi?id=200902140025136

こんな最低な抗議活動を行う会は「市民の会」でも何でも無い。
「心の暗部に巣食う醜悪な差別意識や階層意識を持った劣等感たっぷりの会」に改名しろ。


"善良"なカルデロンさん一家が強制送還されるのであれば、納税の義務すら果たしていないニートと形容されるような一部の人々の方が、より国家にとっては不利益を被る対象なのではないでしょうか?勿論このときのニートは、働けるけど働かない、一部の堕落した人達のことを指してますが。

このような活動がyoutubeのようなメディアを通じて広まり、日本の暗部や恥を曝け出すことによって世界中の人達から敬遠されるようになってしまうことが心配です。

基本的には良い国だと思うのに、日本は。

新規事業と回収の判断

ここ最近のネット関連ベンチャー企業の上場だと、

の2銘柄が有名だし、話題になった。

GREEは設立4年目の上場、paperboy&co.については、有限会社から株式会社へ移行したのが2003年頃でそこから本格的な企業活動を行ったと考えると、設立から5年での上場となる。

恐らくネットベンチャーとしては、上場までの期間としては長い方ではないだろうか?




2000年前後のネットバブルの時期には、立ち上げから10億円未満の会社がその期待感だけでどんどん上場していき、そして、殆どが市場から姿を消した。期待感だけのバブルそのもので、それらの会社の株式を買い支えていたのも、ネットビジネスについて殆ど知識が無い投資家達。彼らのネットリテラシーが成長するに連れ、そのビジネスの実態をきちんと見るようになり、スピード上場していった企業の本質的な価値が判断できるようになるころには、どんどん市場撤退を余儀なくされ、潰れていった。


その当時のベンチャーの状況を思い返してみると、全てが市場の波を掴み損ねまいとしたスピード重視というかスピードオンリーの経営だったと思う。


一言目にはスピード!
二言目にもスピード!スピード!
考えるな!行動しろ!スピードを持って!!
とりあえず売ってこい!!


スピードを失速させる要因、例えば経営戦略であり、マーケティングであり、企業の方向性や基盤根幹を強めるもの、そのようなものは全て阻害要因として殆ど無視された。
だから営業オンリーの会社が多かった。いわゆる営業会社というやつ。


未熟なサービスでも不完全な商品でも何でもスピードの名の下でどんどん売った。
売られる側もリテラシー低く、営業に唆されるととりあえずは買ってみた。




時が経ち・・・、




現在のネット企業は、Googleに代表されるようなテクノロジーやサービスのクオリティが抜群に高い企業や、Mixiのようにサービスモデルが抜群に良い企業、GREEやPaperboyのように中間は振るわなくともニーズやマーケットの分析を行い、自分たちの仮説を信じて地道に活動した結果として市場からも爆発的な評価を受ける企業、と、全てがサービスの品質や方針・戦略をきちんと考えている企業しか市場からも認められない。


逆に、未だ過去の成功体験からスピード重視の亡霊に囚われ、市場や顧客のニーズや市場の展望に構うことなく、投資とリターンのスピードだけにご執心な企業から生まれたものは全てその名を馳せることなく、雲散霧消となる。


過去の成功体験にのみ生きている人は、それを引き摺ることで、目まぐるしく変化する外的環境を察知できず、理解できずにそのまま埋もれていく可能性は高い。


勿論、事業やサービスを創るということは、利益を生み出さなければならない。
昔と今との違いは、その利益をどの時点で生み出すかということだ。
例えば今は全く流行っていないサービスでも、市場環境や顧客のニーズがサービスの伸びていくする方向性と同調しているのであれば、そのままそのサービスを継続すべきだ。過去の体験と感覚値、そして机上の空論だけの恣意的な理由で今後の方針を決定していくのは、読み誤っているとしか判断できない。


自分自身、全くの新しい市場で全くの新しいサービスを立ち上げている最中だ。
そのサービスを継続的に成長させていくには、市場ニーズや同行、外部環境などをきちんと理解した上で、舵をとらなければならない。海図が読めなかったり、風や波の状況を把握できなかったりする船長はいないのだ。経営は勘とも言われるが、それは無知から生み出される勘なのか、知識や戦略が立てられた上での勘なのかで大きく異なる。



方向性を見誤ることのないよう正しく前を見つめていきたいと思う。

高城剛という人。

最近、高城剛という人が気になる。


初めてその名前を認識したのは中学生の頃だったか。なのでもう15年程前になる。自宅に届いた進研ゼミのテキストに彼のインタビューが掲載されていた。肩書きは「ハイパーマルチクリエイター」だったと思う。その時分は、今は懐かしきマルチメディアというキーワードがあらゆるメディアでも取り沙汰され始めてきた頃だったので、その肩書きのインパクトも相まって不思議と忘れられない人になった。インタビューの内容は殆ど覚えてないが、当時から見た近い将来における情報伝達の進化や、中学生に対しての無限大の可能性を説くメッセージだったと思う。その頃はちょくちょくTVでも見かけていたのだが、その後は殆どその姿を見る機会は無くなっていた。


数年前に近所のコンビニで見かけた時は、雰囲気は当時と変わっていて、今のようにサーフィンでもやってるのかな?というくらいの色黒さだったが、すぐに本人と分かった。同時にhonycomを読んでいると高城氏のブログがあり、それからブログを読むようになった。


最近では沢尻エリカとの結婚で露出が一気に増えて、「チョイ悪オヤジ」的な紹介をされていたので、一般の人からは、得体の知れないどっかの悪そうなおっさん、としか写っていないかもしれないが、ブログを読んでいると、ものごとの本質を常に見ようとしていて、自分の信念や考え方に素直に行動する人という印象が得られるはず。


政治や文化、経済についてまで、さすが世界を駆け巡っているだけはある、と思わせる(くらいの)マルチな蘊蓄や洞察が高城氏本人の考え方がスパッとした切り口でブログに書かれていて面白い。個人的にはこういう人をグローバリズム時代の「自分で考えることのできる人」というんだろうな、と思う。


スペシャルギフト」という番組で初回のゲストとして登場していたのでYouTubeで観たのだけど、高城さんらしい軽快な口調と、ハイテンションと言えるくらいの元気の良さで、観ていて元気を貰ったような気がする。それに、「楽しく生きる」ということを何度も話していて非常に印象的だった。物事の価値はお金では量れないということをブログでも暗に述べていたけど、本音と建前を使い分けているわけではなくて、高城氏本人が本当に心からそう思っているんだな、と感じました。


高城氏は、自ら金銭至上主義的な価値観に辟易して、全ての財産をほとんど処分したというだから、行動力が凄い。


日々暮らしていると、自分のしていることの価値、そして自分が求めているものの本当の価値など、自己の観念に疑問を持つときがあるので、そういうときは氏の言葉がぐっと胸に刺さるときがある。

そういう意味でも今後も氏の言動には個人的には要チェックなわけです。